事務所開設に向けての準備作業
パイロット事務所の設置
公設弁護人事務所の設立を日弁連で運動として位置づけるべきだと言うのが私の主張である。とは言うもののどの程度の負担でどの程度のものができるのかは、机上の試算では可能であっても現実にはほとんど未知の事柄である。また、机上の試算が正確なものであったとしても、そこで試算された負担の問題は当該事務所で引き受けざるを得ない。となると、そのような事務所を設立する者はなかなか現れないと思われる。それ故私は提唱の当初から自らパイロット事務所を設立する旨宣言した。また、被疑者国選の実現は司法の大きな改革であるが、多少の予算を必要とする制度であるだけに、国が容易に協力するとは考えられない。そのような国の姿勢を変えさせるのは弁護士の真剣な取り組みと国民の支持しかない。パイロット事務所の設立の宣言は私の弁護士としての明確な態度表明でもあったのである。
メンバーの確定
事務所の中核は、登録後5ないし10年以上の、刑事弁護に精通した弁護士が、できれば複数いることが望ましい。私自身は登録後そろそろ16年になろうとする者であるが、刑事弁護に「精通した」と自称するにはやや躊躇を覚える。そこで、同じ第二東京弁護士会のよしみで畏友神山啓史弁護士に加わってもらうことにした。神山弁護士は趣旨を聞くや二つ返事で引き受けてくれたので、とにかく「中核」は確保できた。次に新人弁護士の採用である。被疑者国選制度の実施が西暦2000年からとされたことや、派出事務所の設置に向けて若干調整すべき問題が残っていることから、当事務所から過疎地への派遣も西暦2000年から開始することにした。とは言え刑事弁護の質の向上など、事務所で取り組むべき課題は過疎地への派遣に止まらない。力を蓄え、継続的に新人を育てて行く意味で、50期の修習生2名の採用を決めた。当然のことながら2名とも刑事弁護に対する意欲を持つ修習生である。引き続き51期、52期からも1ないし2名ずつ採用し、西暦2000年からの過疎地派遣に備える予定である。因みに事務所発足から過疎地派遣までの人員補充の具体的なスケジュールは次の通りである。
平成10年1月 | 公設弁護人事務所発足 | 在籍弁護士2名(34、35期) |
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平成10年4月 | 50期弁護士2名入所 | 在籍弁護士4名 |
平成11年4月 | 51期弁護士1、2名採用 | 在籍弁護士5、6名 |
平成12年4月 | 52期弁護士1、2名採用 | 在籍6ないし8名、同年中に2ないし4名の弁護士を過疎地に派遣する。 |
事務所の移転
私の事務所はもともと2名の弁護士で運営していた事務所であるが、本年4月からは4人の弁護士が執務することになり、しかも毎年新人を採用する予定なので、事務所が手狭になった。結局もう少し広い場所に事務所を移転することにした。事務所の移転に際しては顧問に準じる関係にある企業に便宜を図ってもらうことができた。本年1月中に移転を完了し、これを機に名称も「のぞみ綜合法律事務所」として発足させる予定である。
既存の顧客への告知
事務所のカラーがこれまでと異なることになるが、経済的にはほとんど既存の顧客に依拠せざるを得ない。したがってこの点の理解を得ておくことは経営上不可欠である。そこで、顧問先及び主要な顧客に対して予め日本型公設弁護人事務所の設立の意義等について告知を行った。顧客のほとんどからはこれと言った反応はなかったが、一部の顧問先からは趣旨を良く理解してもらうことができ、趣旨に全面的に賛同するという励ましの言葉を得ることができた。