日本型公設弁護人事務所の呼称の由来
「公設」弁護人事務所を名乗る意義
公設弁護人事務所という名称は米国のパブリックディフェンダーから借用した。米国のパブリックディフェンダーは狭義には連邦、州、或いは郡などから雇用される公務員である。また、やや広く捉えてそれら地方公共団体と契約をして働いている弁護士をもパブリックディフェンダーの範疇に加えるとしても、彼らは収入のほとんどを公的な財源に頼っている。その意味では文字どおり「公設」弁護人である。
翻って私の提唱する日本型公設弁護人事務所は、少なくとも当初においては公的資金に全く頼らないものである。それにもかかわらず敢えて「公設」弁護人事務所というのは以下の理由による。そもそも憲法は全ての被疑者被告人に弁護人を選任する権利を付与している。そして被疑者段階でも国選弁護人を付与することは弁護人選任権を実質的に保障するものであり、国家が率先して行うべき事業である。そして弁護士過疎の問題は、弁護人選任権保障の前提として、国家が解決の方策を打ち出すべき問題である。私は先に過疎の問題は過密の問題であるとして、日弁連全体で考えるべき問題であると述べたが、これは決して国の責任を免責するものではない。先の議論は、国や公共団体に頼んでいてはいつまでも人権擁護のための制度はできないという現実を踏まえて、業界内部では全体として取り組まなければならないという議論である。したがって国や公共団体は、被疑者の人権をまじめに考えるのであれば、単位弁護士会と提携したり、或いは個々の弁護士と契約するなどしてでも、過疎の問題を解消すべきなのである。
公設弁護人事務所は本来ならば国や公共団体が設立すべき事務所なのである。そうした事業の公共性から敢えて「公」設の語を用いた。それでも公的な資金で設立運営されない以上公「設」というのは適当でないという意見もあるかもしれない。しかし、先に述べたようにこのような事務所は本来公的な資金で設立、運営されるべきものである。従って私は、国や公共団体がそのような事務所の運営に乗り出した場合にはいつでも公営化(民営化の逆である)にシフトできるようなものとして事務所のイメージを作った。言ってみればこのような事務所は近い将来公的に運営されるべきであるという考えから、敢えて「公設」としたのである。勿論、過渡的な形態として、日弁連や日弁連が設立する財団など公的な団体が運営にあたることになっても「公設」と呼んで差し支えないだろう。いずれにせよ、かくあるべしという理念から選ばれた呼称である。
米国の公設弁護人事務所
ここで米国の公設弁護人の活動について触れておきたい。米国の公設弁護人制度についてはこれまでいくつかの文献で紹介されているが、運用の実体が各州や郡或いは都市によってまちまちであることや、自覚的な公設弁護人たち自身がその弁護水準向上のために日々意欲的に努力して様々な工夫や改善を行っていることから、現状についての正確なイメージはつかみにくい。
幸い私は平成9年4月下旬に日弁連刑事弁護センターの視察団員としてアメリカの複数の公設弁護人事務所を訪れる機会を得たので、その実情を垣間見ることができた。詳細は公式な報告に譲るが、公設弁護人の制度は、制度として優れていると感じられた。刑事弁護を専門に扱うことは必然的に刑事弁護技術の向上に資する。また、そのような弁護士が集団を形成することにより刑事弁護の技術を確実に蓄積することができる。実際、そのようなメリットを生かして、一般の弁護士の刑事弁護技術の向上のためのトレーニングメソッドを作成して、弁護士会全体の技術向上のために重要な役割を果たしている事務所なども見られた。公設弁護人の給与は決して高額ではないが、それでも志望者は少なくないという。アメリカの弁護士全体の数から見れば刑事弁護を扱う弁護士は比率的には少数だとのことであるが、絶対数が多いので、需要を満たすだけの人材はいるということらしい。
私が何よりも感動したのは公設弁護人たちの誇りの高さであった。人権擁護のために最前線で働いているのだという自負がどの弁護士からも感じられた。勿論、私たちが会ったのは公設弁護人の中でも高い評価を得ている人たちだと思われるし、アメリカの公設弁護人がみな優秀であるなどというつもりはない。しかし、優秀で有能な弁護士たちが、とりあえず広義の公設弁護人制度の意義を認めているのであるから、制度としては積極的に評価すべきであろう。また、そのような人材が育つのもそうした制度があるからだと感じられた。米国の公設弁護人たちの気概に学びたいと考えたことも、公設弁護人事務所という呼称を用いた理由の一つである。